フランスアルプス
エクランをたずねて
中高年夫婦の車と足でのエクラン探訪記。
 
この文は1995年に書いておいたものです。
ホームページで発表する2007年では
諸事情は異なることをご承知下さい。
 


 31    ハプニング 自転車部隊
更新日時:
 この時期フランスを旅行すると必ずサイクリストに出会います。自動車専用道路と登山道以外なら必ずいる、と言っても良いでしょう。良く整備された郊外の道路で、一般の車は100km/hから120km/hぐらいでとばしている交通頻繁な道路にもいますし、山の中のかなり急僚斜のジグザグ道にもいます。大都会の真ん中にも居ますし、辺都な田舎町にもいます。自転車を積んで走っている車も良く見掛けました。これらの、自転車に乗っている人達は、自転車を自動車より高級な乗物だと思っているようです。自動車は自転車をよけて当たり前、と思って、大威張りでマイペースで走っているように見えました。さすがトゥール・ドゥ・フランスの国だと思わされました。
 それにしても驚いたことが2回ありました。まず、7月6日アルプ・デュエズヘ登った時のことです。急傾斜のジグザグ道で車でも喘ぎ喘ぎ登るような道でした。そんな坂道をたくさんのサイクリスト達が登っているのです。しかも今まで通って来た普通の道よりたくさんいるのです。3人、5人、10人、と集団になって励ましあって登っているようです。車で約30分の坂道の間じゅうずっと自転車の列はつながっていました。若い人は勿論、中年(すぎ)の男性、女性、はたまた10才から15才くらいのあどけない顔の集団もありました。車のほうは自転車をよけながら、慎重に運転しています。「フランスは大部分が平地の国だから、自転車は平らな国を旅するには快適な乗物だ。」という程度の認識しかなかった私には、こうして、アルプスの急な坂道を登って来る自転車部隊は驚きでした。彼らにとって、自転車はスポーツであり、スポーツであれば強くなる為にはきついトレーニングにも敢えて挑む、ということなのでしょうか。難行苦行とも思える急坂登りに、老若男女、多数の人々が挑戦している姿に思わず声援を送りたくなりました。
 そう言えばトゥール・ドゥ・フランスのコースにも平地ばかりでなく、アルプスやピレネーの山岳地帯が含まれていることを思い出しました。アルプ・デュエズに着いてみると、私達が泊まる6日後の7月12日にトゥール・ドゥ・フランスが到着する、ということで、その準備がすすめられていました。もしかしたらこの時期、トゥール・ドゥ・フランスの到着を見ようと、自転車ファンが集まっていたのかも知れません。アルプ・デュエズで貰ったトゥール・ドゥ・フランスのコースと日程表を眺めながら、こんな険しい山道を通るトゥール・ドゥ・フランスの凄さと、そんなコースを自分のものとして挑戦している、フランスの自転車人口の層の厚さを垣間見た思いでした。
 もう1回は、その3日後の7月9日、ラ・ベラルドでの山歩きを終えて、ブリアンソンヘ向かっている時でした。ロマンシュ谷に沿った国道N91へ入って間もなくのことです。こちらはグルノーブルからブリアンソンヘ向かう登り坂、対向車線は下り坂です。こちらの車線はそれほどではないのですが、反対車線の自転車部隊の数が尋常ではないのです。車輪と車輪を接するばかりに連続して走って来ます。2台平行して走っている所もあります。しかも皆選手のようなキチッと決まった身ごしらえ。走りっぶりも真剣で、下り坂だというのにこいでいる人もいます。皆すごいスピードです。その列はいつ途切れるとも知れません。行けども行けども続いています。「競技会だな。」と思いました。でもトゥール・ドゥ・フランスはまだこの辺には来てないはずです。「日曜日でもあるし、この地方主催の,”トゥール・ドゥ・フランス協賛、自転車競技会”ではないの。」と私。それにしても交通止めをしている様子もなく、一般車が走っています。車の方が遠慮してノロノ口走るので対向車線は渋滞気味。大会役員車らしいものも来ないし、大会にしてはちょっとへン、と思い始めました。所所道幅の狭い所や、分岐点などではおまわりさんが交通整理をしている程度です。「へンだ。へンだ。何だろう。」と思って車を走らせていましたが、向う側の自転車の列は途切れる事がありません。大会だったらもうこの辺で最後の人がいて、大会役員車が来ても良さそう、と思うのですが延々と自転車はやって来ます。とうとう私達の終点ブリアンソンまでこの状態は続きました。そしてブリアンソンの町は、町じゅうでサイクリストを見ました。
 ブリアンソンのホテルの人に聞いてみました。「今日、ここへ来る道でたくさんのサイクリストに出会ったのですが、大会でもあったのですか。」すると「この辺の道路はサイクリングに適しているので、国じゅうからサイクリストがやって来るのです。このごろではこんなのは毎日です。」との返事。信じられない答えでした。フランスの自転車人口の多さを思い知らされる経験でした。

 32    雑感 町のゴミ・山のゴミ
更新日時:
 フランスはゴミの多い国か、と聞かれたらちょっと返事に困ります。町は決してゴミの少ない清潔な町とは言いがたいからです、特にパリはひどいです。東京の数倍も汚いです。タバコの吸い殻、お菓子の包み紙、それに犬のフンもよく落ちています。ものを食べながら通りを歩いている人が、包み紙をポイと捨てる光景を何度も見ました。「イヤ、あれは外国から来た観光客のやることで。」と、言い訳されるかも知れません。(フランス人は都合の悪いことは良く外国人にせいにしますから。)でもフランスには元々「道路はゴミ捨て場」という観念があったようです。昔はオマルに取った排泄物を道路に捨てるという習慣があったそうで、その伝統は今でも生きているんじゃないかと思います。カツコイイ、パリジェンヌが歩きながらゴミをポイ捨て、というのは当たり前、と、「パリ、旅の雑学ノート」の中で玉村豊夫氏も書いています。
 そんな、人々の観念の中でパリがあの程度の汚さで済んでいるのは、市当局が必死でお掃除をしているからです。夜が明けると、道路の水道栓をあけて水を出し、、ゴミを洗い流して下水へ流し込みます。私達が朝食を終えて町へ出るころ、青い制服を着て、緑色のほうきを持ったお掃除部隊のおじさんたちが、仕事を終えて引き上げる姿を何度か見掛けました。昼間はカツコイイ若い女の子が、やはり青い制服を着て、軽自動車くらいの大きさの、小型トラクターのような形の清掃用自動車に乗り、象の鼻のような吸い取り口を操作して、歩道上のタバコの吸い殻や小さなゴミ、枯葉などを吸い取っているのを見ました。水を出しながら巨大タワシを回転させて掃除する自動車もあります。歩道上のひとごみを縫って、ゆっくりと車を運転し、ていねいに掃除しているのです。思わず「大変ね。」と口に出してしまいました。
 「東京の銀座通りだって、東京都は掃除はしているかも知れないけど、あんなにゴミは落ちていないでしょう。それに、店主は自分の店の前が汚かったら掃除くらいするんじゃないの?」私は市当局や掃除人に対する同情と、ゴミを捨てる人に対する怒りを込めて言いました。
 でも、案外、市当局も掃除人もこれは自分達の当然の仕事と心得ていて、これがないと自分達は失業する、と思っているかも知れません。そして、自分達も通りを歩く時は、ゴミを捨てながら歩いているのかも知れません。
 ただひとつ感心したのは、日本でのゴミの最悪の元凶、ジュース類の空き缶がどこにも落ちていなかったことです。そう思って見回すと、ジュース顆の自動販売機がどこにも見当たりません。3週間のフランス旅行中、自動販売機を見たのは2回だけでした。1回はアルルの場末の星無し安ホテルに泊まった時です。勿論ホテルの部屋には冷蔵庫などありません。宿の主はレセプシオンの前の自動販売機を指して「飲物はここで自由に買って下さい。タッタ5フラン(約100円)です。」と自慢そうに言っていました。あと1回はブリアンソンの安いバーの中に置いてあったものです。道端に無人の状態で自動販売機が置いてある、という光景は一度も見ませんでした。缶ビールや缶ジュースが無いのか、というとそんなことはありません。スーパーヘ行けば大量に売られていますし、カフェやバーに入って飲物を注文したとき、カウンターで缶からグラスに移して持って来る、という事もありました。
 缶のポイ捨ては明らかに自動販売機と密接な関係があるようです。それを見越して自動販売機を規制しているとしたら、フランス政府は賢明だと思います。
 日本人の中には「では、外で喉が乾いたときどうするのか。」という人がいるかも知れません。フランスではそれこそ星の数ほどカフェやバー、スナックと称するものがあります。小さな村にも1軒はあります。人々はそこに座って飲んでいます。確かに自動販売機より割高で、時間もかかるかも知れません。しかし、ゆったり座って、店の人と言葉をかわし、そこに顔見知りの客がいるとおしゃべりに花が咲くこともある、といったメリットもあります。そういうゆとりがフランス的なのかも知れません。でも最高のメリットは、町や通りや森や川に空き缶の無いことだと、私には思えるのです。
 そんな町から山へ行って驚きました。ホントにアメの紙ひとつ落ちていません。山の自然を大切にする、ということは登山者の間では良く守られている、と、感心しました。日本では町ではあまりゴミを捨てない人も、観光地や山や人目につかない所ではよくゴミを捨てます。ゴミの不法投棄の問題は、わが山梨県の多くの市町村で頭を悩ましている問題です。こういう悪習を無くすのに何十年かかるのか、それとも直らないのか、と、絶望的な思いにかられます。
 新田次郎氏は34年前にスイスに行って、山にゴミが無いのに感心し、「ヨーロッパ人は都会でもごみくずを捨てるようなことはしない。してならない習慣だから、それがそのまま山へ持ち上げられたのであろう。」と「アルプスの谷 アルプスの村」の中で書いておられますが、大きな誤解だと思います。スイスやドイツの町は清潔かも知れませんが、パリヘ行ってご覧なさい、と言いたいです。フランスでは、町でゴミを捨てる人も、山へ行ったら捨てないんじゃないでしょうか。

 33    雑感 ヨーロッパの犬
更新日時:
 ある日本人に「隣家の犬の鳴き声がうるさくて。」と言ったら、その犬好きの人は「犬は鳴くのが仕事みたいなもんなんだから仕方無いじゃないか。」と言いました。私はそんな事を言う人にヨーロッパの犬を見せて上げたいと思います。いつもヨーロツパに行く度に、こちらの犬の躾の良さに感心します。しつければここまで出来るのです。日本の「愛犬家」の方々も見習ってほしいと思います。
 こちらの人達はよく犬を連れて歩きますし、どんな所でも連れて行きます。家族でバカンスに出掛ける場合は犬も連れて来るので、観光地や保養地にもそんな犬がたくさんいます。バスや列車にもよく乗っていますし、レストランやカフェでも主人の椅子の下におとなしく座っています。他のお客さんの迷惑になることは一切しないし、犬同志がほえあったりかみあったりすることもありません。食べ物を欲しがったり、手を出すこともありません。公共の場所に犬がいても多くの場合気が付かないくらいです。まるで「私は人間です。お行儀の良い紳士です。」と思っているようです。日本で見掛ける、公共の場で騒ぎまくる人間の子供達よりずっと紳士的です。
 ‘
 あるバーで労働者風の男の人が連れていた中型犬が、仲間の連れていた大型犬にほえかかったことがありました。飼い主はすぐ犬をたたいて、厳しい声で叱りました。犬はシオシオと隠れてしまいました。ほえられた方の犬は涼しい顔で、まるで「ソーラ見ろ、御主人様に叱られた。ボクはお前みたいな野蛮な犬じゃあないんだぞ。」とでも言っているようでした。
 日本ではロクに躾をしないで犬を飼うものだから、他所の人や他所の犬を見ると居丈高になってほえる犬が多いです。主人は、自分にさえなついていれば何とも思っていない様子。本当に困りものです。このごろは主人の言うこともきかない犬がいるそうです。自分が主人で、人間はケライだと思っている、ということです。人間の子供の躾にも同じことが言えるんじゃあないでしょうか。
 その、お行儀の良い犬が、厳しい飼い主が、フンに関しては無神経と言うのは困りものです。これは犬の責任、というより飼い主の責任でしょうが。東京も30年前は良く犬のフンが落ちていたものです。このところ急速に姿を消しつつあります。この点だけはヨーロッパの飼い主に見習って欲しいものです。
 このように、どこにでも犬を連れ歩くフランスならではの標識を見付けました。エクラン国立公園内の登山道には「犬禁止」の標識がありました。ガイドブックにも明示してありました。こうしておかないと大勢の人が犬を山に連れて行ってしまうのでしょう。なぜ「犬禁止」なのかはわかりませんでした。犬には登れない険しいコースなのか、他の動物を保護する為か、外の理由があるのか。とにかく日本の山では見たことのない標識でした。
 
 アルプスの山では「働く犬」を見ました。これまで描いて来た犬は皆人間のペットというか、コンパニオン、家族の一員として可愛いがられている犬ですが、その犬は、人間の片腕というか、人間に信頼され、人間以上の働きをしている犬でした。それは牧羊犬でした。アルプスの山道をドライブしているとき、羊飼いに率いられた羊の群れに出会いました。1000頭は越えていると思われる夥しい数です。その群れを実質的に動かしているのは、数頭の犬でした。その犬の顔は精悍で、誇りに満ちているようでした。
 それから、犬を連れた浮浪者というか、犬を連れた乞食を度々見掛けました。乞食と言うのは、自分の食べ物を他人に頼っている訳ですから、自分の犬の分まで頼るとは賛沢だ、と私は思いますが、こちらの人は犬を飼うのは贅沢とは思わないのでしょう。もしかしたら犬を連れている方が「お貰い」が多いのかも知れません。

 34    雑感 ヨーロッパのロープウェイ
更新日時:
 よくもまあ、こんな所にロープウェイを付けたもの、とアルプ・デュエズからピック・ブランに行くロープウェイに乗った時思いましたが、ヨーロッパ旅行をしていると、そう感じる事が良くあります。
 シャモニーのエギーユ・ドゥ・ミディに登るロープウェイだって、ドイツのツークシュ・ビッツェへ登るロープウェイだって、物凄い急傾斜、と言うより断崖のてっぺんヘ一気に観光客を運びます。ツェルマットのクライネ・マッターホルンに登るロープウェイは、氷河をひとまたぎして、富士山より高い所へ連れて行きます。
 それにロープウェイの数自体とても多くて、今回訪ねたアルプス地方も、地図を見ると、そこにも、ここにも、といった感じでロープウェイがかかっています。スキー場には必ず、といって良いほどロープウェイがあるし、それは通年動いているのが多いようでした。ロープウェイと登山電車はヨーロッパが先進国だと思います。 主人に言わせると、ロープウェイは大量に人を運ぶ輸送機関の中では一番自然を壊すことの少ない乗物だ、というのです。建設するとき伐採する木は一番少なくて済むし、ツルベ式にすれば、使うエネルギーも少ないし、乗っている人がゴミをポイ捨てすることもありません。登山電車はロープウェイよりは劣るけれど、道路をつけて自動車を走らせるよりはずっと優れている。という意見です。
 上高地も富士山も道路をつけマイカーが入ったため様々な問題が起きています。一時的にマイカー規制をするくらいでは済まないでしょう。 主人いわく「今の自動車道には登山電車をつけ、更にその上へ行くにはロープウェイを付ければ良いんだよ。」
 ヨーロッパのロープウェイを見れば、富士山頂にロープウェイを掛ける事など夢ではなさそうに見えます。専門家が見れば、地盤とか雪崩の問題などあるかもしれません。しかも、強風と天候不順の為、運休ばかりしているかも知れませんね。でもそんな理由がなくても私はやっばり富士山にロープウェイをかける事は賛成できません。少なくとも今の受け入れ態勢のままロープウェイだけ掛けるとすればもっての外です。人々がどんどんやって来る、ということは、お金を落とすだけでなく、ゴミを持って来て、用を足して行く、ということです。今でもゴミ処理とトイレの問題が解決出来ていないのに、人々が安易に入れる山にすることは反対です。富士山は歩かなければ登れない山にしておくのも意義のある事だと思います。

 35    反省
更新日時:
 今回の私達のアルプス探訪の最も反省すべき点は日数が少なかったということです。グルノーブルからアルプス山岳地方へ入って、ブリアンソンからパリヘ向 けて発つまで5泊5日しかなかったのです。しかも3週間のフランス旅行の最後の時期に当たっていました。行くまではフランス・アルプスの山ふところがこんな にも居心地がよく、見所が多く、楽しめる場所だとは思っていませんでした。「 ちらっ、とでもエクランが見えたらそれで良い。運悪く天気でも悪かったら諦めよう。」 というぐらいの気持ちだったのですが、実際に行ってみて「もっと時 間があったら。」と、つくずく思いました。そうは思っても帰りの飛行蔑が決ま っていたので、それ以上延ばすことは出来ませんでした。やはり「ドフィネの山々中心の、フランス・アルプス探訪」にポイントを絞って出直して来たい思いです。私達なら1ヶ月いても退屈しないでしょう。少なくとも10日はかけたいと思います。
 今回は幸運にもお天気に恵まれました。でも悪天候の時にはお天気待ちをする ぐらいのゆとりも欲しいと思います。ちょうどこの時期は山の花が咲き乱れていました。植物図鑑を片手に高山植物を眺めるハイキングもしたいと思います。主人ももっとゆっくり絵が画きたかったことでしょう。ガイドをたのめばもう少し高い所まで登れたかも知れません。
 もう一つの反省点は事前調査不足です。帰ってから改めて「アルプス登はん記 」と「アルプスの谷、アルプスの村」を読み直しました。行く前には見落としていた、参考になることが幾つか見付かりました。ミシュラン・ガイドにも私達が 見落としていた面白そうな場所がまだまだ有ることに気が付きました。現地で貰ったり、買ったりした本やパンフレットもゆっくり読むと、興味有る情報がたく さん見付かります。
 今度の旅は、エクランを見て気が済むかと思っていましたが、かえって欲求不満を募らせてしまったようです。元気なうちにもう一度。そう願って本のページ をめくる私です。

 36    次に行くときの為の、夢のコース
更新日時:
 パリからグルノーブルまではTGVで来て、グルノーブルからラ・ベラルドまではバスで来ます。バスは朝と夕方に一本ずつですが、時間に余裕があればバスの方が安心です。あの山道を慣れない車でもう一度通る、と思っただけでもゾッとします。バスなら景色を眺めるゆとりもあるでしょう。季節により運休も有りそうですし、便によってはブール・ドアザン乗り換えになることもあるようです。
 ラ・ベラルドには5日以上滞在したいです。
 第一日目:テート・ド・ラ・メの頂上でドーム・ド・ラ・ネイジュ・デ・ゼクランを見るコース
 第二日目:エタンソンの谷の奥までつめてシャトゥレット小屋まで行き、ラ・メイジュを間近に見るコース
 第三日目:ヴェネオン谷をつめて、ピラット小屋まで行き、ピラット氷河を間近に見るコース
 第四日目:ボン・ピエール氷河を間近に見るコース
 第五日目:タンプル・エクラン小屋まで登る。出来ればガイドを雇ってタンプルに登ってエクランを見る。場合によっては一泊小屋泊まり。
 これだけで最低五、六日はかかってしまいます。お天気待ちをしたり、休養日を入れたりすれば、あっと言う間に10日は過ぎてしまいます。
 ラ・ベラルドでのんびりしたら、ラ・グラーヴに向かいます。ラ・ベラルド発のバスでブール・ドアザンまで出て、そこでブリアンソン行きに乗り換え、ラ・グラーヴで下車します。そこで1、2泊してラ・メイジュ見物のロープ・ウェイに乗ったり、見晴らしの良い高台のル・シャズレヘ行きます。
 またバスに乗ってブリアンソンヘ入ります。ブリアンソンを基地にして、ここで3、4泊。バスでエール・フロアドヘ行き、モン・ベルヴーの眺めをゆっくり楽しみます。ブリアンソンでレンタカーを借りて、セール・シュバリエやコル・デュ・グラノン、コル・デュ・ロータレ、エール・フロアドヘ行っても良いでしょう。そのままレンタカーを使ってコル・ドゥ・ガリビェ、ヴァル・ディゼール経由でシャモニーヘ行っても良いですね。レンタカーを使わないのでしたらまっすぐバスでシャモニーヘ行ってしまいます。  
 ドフィネでゆっくりしたのならシャモニーは1泊程度、ジュネーヴヘ出てTGVでパリヘ戻ります。もしドフィネでお天気に恵まれ、日程が早く消化出来たのであれば、少しシャモニーでゆっくりして行きます。シャモニー周辺なら行く所はたくさんありますから。
 でもドフィネもサヴォアも、ついでにスイス、イタリアにも、と、欲張っていたらきりがありませんから、やっぱりドフィネ、しかもエクランにポイントを絞ろうと思います。天気の良い時期はそう長くはないでしょうし、私達の体力の問題もあります。あまり長く家を空けると、畑の野菜の事も心配です。ほかのところはあらためて出直します。
 もうプランは出来上がってしまいました。本当に行きたいなあ。このコース。

 37    フランス・アルプスへの旅 その後
更新日時:
 1995年のフランス・アルプスへの旅は、大変面白く、大変印象的だったので、旅行を終えて直ぐに私は旅行記を書きました。
 かなり良く書けた、と自画自賛した私は、何らかの形でこれを世の人に読んで貰いたいと思いました。そこで大胆にもこの原稿を「山と渓谷」社に送ったのです。結果はやはり不採用で、原稿は送り返されてきました。
 私は反省しました。
 これでは話は中途半端だ。いつかここに書いた「夢のコース」に再挑戦して、その結果を含めて、自分で本を作ろう、と。
 しかし、再度フランス・アルプスを訪れる機会は無く、いつの間にか11年の月日がながれました。原稿はしまい込まれ忘れ去られました。

 38    11年後 ホームページを立ち上げる
更新日時:
 ホームページを立ち上げようと思いついたのは、2006年8月私の肺ガン宣告がきっかけでした。9月には手術を受けることになりました。初期の肺ガンで、5年生存率は80%、現代の医学では治癒する可能性もある、とのことでした。
 手術は成功で、他への転移も認められない、と言うことでした。私は病院のベッドで考えました。手術が成功したとはいえ、万一と言うことも考えておくべきだ。これまでの人生で、何かやり残したことは無いか。今なら出来ることは無いか。それで思い出したのがフランス・アルプスへの旅行記でした。
 2000年にインターネットを始めた私は、それまでは、友人や親戚とのメール交換が中心でした。「自分のホームページを開き、私の旅行記を読んで貰いたい。」と思いついてから、ひとりで勉強を始めました。
 こうして、2006年の暮れも近い頃、悪戦苦闘の末、私のホームページができあがったのです。
 このホームページを一番読んで貰いたかったのは私達の古い山の仲間、私達より少し若く、今でも国内の山に登り続けているサワダさんとイナちゃんです。そして、みっちゃん、シムラくん、セイゴクン。この人達に、私達が再度行きたくて行けなかったエクランに挑戦して貰いたい、という希望が有りました。

 39    インターネットの世界が広がる
更新日時:
 私はそれまでインターネットは必要最小限のつき合いしかしてきませんでした。それで、ダイアルアップ接続で不自由を感じることは有りませんでした。しかし、ホームページを開いたのをきっかけに、ADSLが欲しくなり契約変更をしました。
 それからは、他の人が作っているいろいろなホームページを読むようになりました。フランス・アルプスの事を書いている人も沢山いることを発見しました。実際に自分でフランス・アルプスに行って、旅行記や山行記を書いている人が沢山いる事を知ったのです。
 10年前だったら考えられないことでした。フランス・アルプスへ行く人自体多くなかったと思いますが、それをホームページで発表する人も更に少なかったと思います。私が11年前、頑張ってやって、やり遂げられなかったことを、今、沢山の人が軽々とやってのけているのです。時代が変わっていたのです。私にとって新しい世界が広がったと言うとちょっとオーバーでしょうか。

 40    ゆきさんとの出会い
更新日時:
 いろいろな人のホームページを見ていて目を引かれたのが「雪のアルプス手帖」というページでした。フランスアルプスを中心に、スイス、イタリアを含めた、ヨーロッパアルプスの山々を歩いた記録が沢山載っています。私の憧れたエクランも、他の高い山からしっかりと見た様子が、生き生きと記述されています。写真も豊富です。(私のときはデジカメがなかったから、こんなに気軽に写真がとれなかったなあ、とうらやましく思う次第です。)これから行く人にも参考になるような事がいろいろ書かれています。私のホームページを読んでヨーロッパアルプスに興味を持った人にも絶対おすすめできると思いました。
 最初「雪」と言う言葉は文字通り、雪=スノウと言う意味だと思ったのですが、読み進んでいるうち著者の名前だとわかりました。しかもそれは女性でした。私は見ず知らずの人の掲示板に書き込みをするのは初めてだったのですが、恐る恐る自分のことと、自分のホームページのことを書いてみました。すると即座に、丁寧な返信を貰ったのです。そして私のホームページも読んで下さいました。私の行った所も、ゆきさんのホームグラウンドの様なところでしたので、私の細かい記述についても共感を示して下さいました。私は夢を見ているようでした。ゆきさんはそのときフランス在住でしたので、私の友人がフランスで登山をするときは、何かしら力になってもらえるのでは、とも思ったのです。
 掲示板で何度かやりとりするうち、ゆきさんの人柄にも信頼感がもてたので、更に思い切って私のホームページに「雪のアルプス手帖」へのリンクを付けさせて貰うことをお願いしたのです。これも快く承知して下さいました。
 
 これで私の友人をフランスへ送り込む準備が出来た、と内心思ったのです。

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