アルプ・デュエズに泊まったのは7月6日木曜日でした。「明日は金曜日だけどお金は大丈夫?明日両替しないと土日は銀行が開いてないからね。」「じゃあ、明日はブール・ドアザンの町に出たらまず両替だ。」そういう会話を交わしてその夜は床につきました。
私達のお金の殆どは円建てのトラベラーズ・チェック、それに日本円の現金が少し、あとはクレジット・カードでまかなって釆ました。 4〜5日に一回、町の銀行でトラベラーズ・チェックを5万円ぐらいずつフランス.フランに両替してお小遣いにして、ホテルやレストランの支払い、ガソリン・スタンド、大口の買い物はクレジット・カードで払って来ました。その時は手持ちのフランが少し減ってきていたのです。
しかし翌日になって、ブール・ドアザンヘは降りないでコル・ドゥ・サレーヌの方へ回ろうと主人が提案しました。そちらの方が景色が良さそうだ、というのです。
素晴らしい山や谷の挑めに陶酔し、滝があった、羊の群れを見た、と喜び、「こちらのコースヘ来て良かったね。」と、ご満悦でした。お金のことは二人ともケロッと忘れていたのです。銀行はおろか、食事処さえも見付からないような山の中でした。国道N91へ出てしまいましたので、「ブール・ドアザンまで戻ることはないよ。このままラ・ベラルドヘいっちゃおう。」という主人の言葉に、私も賛成し、ラ・ベラルドヘの道を突き進みました。この道は前に書いたように、狭くて危険な、乗っているだけでも手に汗を握るような、思い出してもゾッとする道でした。そして何とか無事にラ・ベラルドの村に着いたのです。ホテルも決まって、部屋でホッとした時、突如お金の事を思い出しました。金曜日の4時を過ぎていました。
ホテルの人に聞きに行きました。「このホテルではクレジット・カードが使えますか。」「ノン。」「このホテルでは両替をしますか。」「ノン。」「ここのオフィス・ドゥ・トゥーリズムでは両替をしますか。」「ノン。」「この村に銀行はありますか。」(聞くも愚かでした。)「ノン。」万事窮す、という事態です。「私達お金を持っていないんです。どうしたら良いでしょう。」と言いますと、宿の人もぴっくり。せっかく入って来た客から料金を取りはぐれては大変、と思ったのでしょう。一生懸命考えてくれました。
「今日はもう間に合わないが、明日の土曜は午前中だけ銀行が開いています。明日ブール・ドアザンまで行って来れば良い。」と事もなげに言います。あんな怖い道を、「行って来い。」 とはよくも簡単に言えたものだ。と内心思いながら、「明日はぜひ山登りをしたいのです。もう一度主人と相談してみます。」と、一旦部屋に戻りました。
部屋に戻って主人に一部始終を話しました。私達の有り金を全部出して計算しました。金額によっては2泊出来ないかも知れません。有り金はお札で720フラン、コインで100フラン程でした。宿泊料は一人一泊2食付きで180フラン、二人2泊で720フランですから何とかギリギリ間に合いますが、昼食2人2回分では少なすぎます。飲物も買えません。さあ、どうしようか、と二人で顔を見合わせました。せっかく苦労してやって来たラ・ベラルドです。二回の山歩きを計画していました。それを諦めるのは残念です。予定どおり2泊することに決めました。その代わり、夕食の時もワインも飲めません。山から帰ってもジュースも飲めません。昼食は一人分を二人で食べるよりありません。それも仕方ない、と決断しました。
再び宿の人に話しに行きました。「720フランは有ったから心配しないで下さい。」というとホッとしたような顔をしました。「でもあと100フランしかありません。」というと、「じゃあ、昼はサンドイッチでも食べるのね。」と冷たく言われました。
お金のことが一段落したので村の偵察に出掛けました。「ちょっとお土産屋を見ても良い?」と私が言うと、主人が「金はないのだぞ。」と、怖い顔で言います。そうすると見る気も起こらなくなるのでした。お金の無い惨めさをつくずく味わいました。
村をプラついていて、主人が別のホテルとその横のカフェ・テラスに目を止めました。「おい、あのホテルでカードが使えるか聞いて来い。」と言います。もしカードが使えるなら、今のホテルは1泊だけにして、そっちへ移る、というのです。でもやはりカードはだめでした。しかしカフェ・テラスの方は、聞く前に、「カード使用可」のステッカーが目に入りました。でも半信半疑、カードを見せて念を押しました。するとOKと言うのです。地獄に仏とはこのことです。喜び勇んでその店に入り、ビールとジュースを注文しました。そのジュースのおいしかったこと。結局、翌日と翌々日の昼食もここでお世話になりました。
オテル・デ・グラシエでは、しけた客と思われて、「飲物は何にしますか。」とか「ワインは。」等とは聞きもしません。当然ですが。
そういう訳で、残った100フランは、帰りがけに絵葉書を3枚買って、97.5フランになり、7月9日日曜日、ラ・ベラルドを後にしたのです。
この日の宿泊予定地は一応ラ・グラーヴと決めていましたが、主人は「行ってみて気にいったらそこに泊まるが、気に入らなかったらブリアンソンまで行く。」 と言うのです。私はブリアンソンまで行くのは主人の負担が重くなり過ぎると思って、「ラ・グラーヴで泊まりましょう。」と言うのですが、主人ははっきりした返事をしません。
私達の作戦は、次のホテルはカードで払える高級ホテルにし、月曜日に銀行が開いたらすぐ両替に行こう、というものでした。ラ・グラーヴに着きました。新しい高級そうなホテルが並んでいます。「あ、あれは3ッ星、あそこならカードが使えそうよ。.」と言う私を尻目に主人は、「どうもこの町は気に入らないから、ブリアンソンまで行く。」と言うのです。「明日は、ラ・メイジュ見物のロープウェイに乗って、etc.」とプランを練っていたのに、もろくもくずれました。走り出した車の中で、「どうしてラ・グラーヴは気に入らないの?」と聞いてみました。主人いわく、「この町はもともと小さな町らしい。観光ブームで立派なホテルは有るが・・・第一、お前、銀行を見掛けたか。」と言うのです。「あっ、そうか。ホテル代はカードで払えても、ロープ・ウェイに乗るお金は銀行で手に入れなければならないわね。カード払いが可能かも知れないけど、こんな山の中では当てにならないし。せっかく泊まってもお金がなければどうせ素通り、それならブリアンソンヘ行った方が銀行のある確率が高いわね。なるほど。」と納得しました。
ブリアンソンでは3ッ星の、この町では最高級クラスのホテルに、車を停めました。レセプションでまず聞きました。「このホテルではカードが使えますか。」 OKとのこと。安心して宿泊を決めました。ついでにホテルで両替をするか聞きましたが、しない、とのこと。「いいわ、明日は月曜日だから銀行で両替するわ。」と何気なく言いますと、「銀行は明日はお休みです。」と言うのです。ビックリして「ドーシテナノ?月曜なのにお休みなの!?」と、言いたかったのですが、こういうことは言ってもムダ、と思いましたから、「エツ、どうしよう。私現金を持っていないんです。」と言いました。すると「だいじょうぶ。オフィス・ドゥ・トゥーリズムで両替してくれますよ。」と言うので一安心。明日は何が何でも一番にオフィス・ドゥ・トゥーリズムヘ行こう、と決めて、その夜は寝心地の良い高級ホテルのベッドで眠りにつきました。
翌朝目を覚ますと、何と、通りを隔てた私達の部屋の真向いに銀行があるのです。「月曜なのに銀行が休みって本当かしら。」と思って見ていましたがいっこうに開く気配がありません。祝日でもなく、ガイドブック類にもそんな事は一言も書いてないのに、よりにもよって今日が休みなんて、恨めしい気持ちでした。
オフィス・ドゥ・トゥーリズムが開く時間に合わせてホテルを出ました。私達のホテルは下町の、デュランス川と支流のギザンヌ川の合流点に近いところで、旧市街は山の上に見えてはいますが、かなり急な坂を30分以上歩かなければなりません。私達は旧市街目指して歩き始めました。途中、通りに面した窓口にキャッシュ・ディスペンサーがありました。ここだけは銀行が休みでも動いており、利用している人がいました。「カードでお金を出そうか。」と主人が言うのを、「要らない、要らない、現金を出すと手数料って結構高いのよ。高利貸並なんだから。オフィス ・ドゥ・トゥーリズムで両替してくれるって言うんだからいいじゃない。」と 私は反対してどんどん坂を登りました。やっと着いた旧市街のオフィス・ドゥ・ トゥーリズムでは、「ここでは両替はやりません。この先の郵便局でやっていますからそこへ行って下さい。」と言われました。地図を貰い、郵便局の位置にマ ークを付けて貰って郵便局へ行きました。城壁の外の、歩いて5分くらいかかる ところでした。
3〜4人の列に並んで、やっと私の番が来て、「日本円なんだけど、両替して貰えますか。」と聞きました。すると「日本のお金はだめ。銀行へ行きなさい。」 とニベもありません。「だって銀行はお休みなのよ。」と言いたかったが言って も無駄、という事はわかっていました。
シオシオと引き下がり、外で待っていた主人に報告しました。主人はムスッと した顔で黙って歩き出します。そしてどんどん古い城塞の方へ歩いていきます。 「お城の入場料も払えないんじゃあ、行っても無駄じゃないの。」と言っても返 事もせず歩きます。お城の入り口に料金所がありました。1人18フラン、2人36フ ランです。これなら何とか払えます。お城の中を見物しました。それから古い町 を歩きました。面白そうな店がいっぱいあって、私が入りたそうにすると、主人 が「金は無いのだぞ。」と言って引き留めます。恨めしい思いで外から挑めるだ けでした。主人は写真を撮りながら町をウロウロ歩き回りました。気が済むだけ 写真を撮り、さあ、帰ろう、と、坂をおり始めました。 「ねえ、さっきのキャ ッシュ・ディスペンサーでお金を出そうよ。」もう、頼りはあれだけでした。「 さっきお前は何て言った。多少手数料は高くても、手に入るとき手に入れなきゃ ダメなんだぞ。」私は謝るだけでした。それにしてもどうしてこうも運の悪い事 ばかり重なるのだろう、と、運命を呪いながら。
前の人を見習って、カードを入れ、ボタンを押し、800フランのピン札が出て 来た時は、本当に天にも昇る心地でした。それから落ち着いて昼食を食べ、買い物をしたのでした。本屋とスーパーでいつもよりたくさんお金を使いました。財布の中に現金が入っているって、何と安心な事だろ う、としみじみ思いました。
午後は昨日行きそびれた、セール・シュバリエに行ってロープ・ウェイに乗っ たり、帰りはキャッシュのみというガソリン・スタンドで、ガソリンを注ぎまし た。
その夜はもう一泊ブリアンソンで泊まりました。火曜日になって私達の部屋の 真ん前の銀行が開きました。チェック・アウトを済ませてすぐ銀行に行き、多め に両替をしました。「早めの両替。」これがその後の私達の旅の合言葉になりま した。
|