1995年7月6日
グルノーブルからロマンシュ谷をはいって20km、この辺で随一の町がブール・ドアザンです。いよいよここからが本当のエクラン探訪の始まり、という気持ちでした。
ブール・ドアザンのオフィス・ドゥ・トゥーリズムに行ったときは、かなり意気込んでいました。′ここならエクランについての資料が色々貰え、良い場所を教えて貰えるのではないかと期待していたのです。「エクランを見たいのです。エクランについての資料があったら戴きたいのですが。」と言いました。でも返答は「ここにはそういうものはありません。ラ・ベラルドならあるでしょう。」というのです。ここで簡単に引き下がったのでは、ここに来た甲斐がありません。そこで、「この辺でエクランの見える場所はありませんか。」と尋ねました。係の人は少し考えてから、一冊のパンフレットを取り出して、「ここにアルブ・デュエズの資料があります。アルプ・デュエズからピック・ブランという山にロープ・ウェイがかかっています。ピック・ブランの須上からは、回りじゅうの山が見えます。」と教えてくれました。「アルプ・デュエズ」とは初めて聞く名前でした。車で待っていた主人に報告し、相談の結果、そのアルプ・デュエズとやらへ行くことにしました。 寡聞にして私達はアルプ・デュエズを知りませんでしたが、パンフレットによると、この辺ではかなり名の通ったスキー場らしく、夏にも夏スキー、ハイキング、パラグライダー、自転車などが楽しめるリゾートで、通年ロープ・ウェイを動かしているようでした。ホテルもたくさんあるようです。
ブール・ドアザンの町を出てすぐ、国道から分かれ、アルプ・デュエズヘ行く山道に入りました。山道といっても整備された幅の広い、センターラインのある道路でしたが、ヘアピン・カーブと急勾配には驚きました。主人も苦労しながらオートマ車のギヤを一番下まで下げて登りました。「さしずめ、日光のいろは坂ね。」と私は言いました。そう言えばカーブごとに番号がついています。
もうひとつ驚いたのは、その、車でも喘いでいるような急勾配の坂道を自転車で登っている人が大勢いるのです。若い人は勿論、中年すぎの男性、女性、はたまた中学生くらいのあどけない顔をした一団。「中学生の夏季合宿かしら。」と私は言いました。途中へトへトになって自転車を倒して道端で休んでいる子もいました。まるで修行としか言いようのない鍛練をフランス人もやるのだな。と改めて感心しました。彼らにとって、自転車は単なる乗物や遊びではなく、真剣勝負の競技スポーツという側面をもっているのだと思います。主人は自転車の人々をよけながら、慎重に運転しました。
つずらおりの山道を登って行くと、途中にユエズの村がありました。更に登り、断崖を登り切ったら上はなだらかな草原が広々と広がっていました。アルプス独特の地形です。草原の奥には雪を頂いた険しい岩山が聾えていました。アルプ・デュエズの集落は草原の下の端にありました。 モダンでオシャレなリゾート、という感じです。新しいホテルが一杯ありました。「街全体があんまり新しすぎて、落ち着かない街だな。都会の気取ったオボッチャン、オジョウチャンの遊びに来る所じゃないのかな。」主人の第一印象です。
私はまずオフィス・ドゥ・トゥーリズムヘ行きました。そこでナント 日本語版のパンフレットを貰ったのです。こんなところで日本語にお目に掛かるとは思ってもいませんでした。こんな所に日本人が来るのでしょうか。フランスのスキー場として私達が知っているのは、シャモニー、グルノーブル、アルベールビル、ティーニュぐらいで、アルプ・デュエズは知りません。日本からスキー・ツアーが来るのでしょうか。それともこれから売り込もうとしているのでしょうか。
外国を旅行しているとあちこちで日本語の掲示や看板、ガイドブックやパンフレットにお目に掛かりますが、たいていは「そうだろうな、ここは日本人がたくさん来るからな。」と納得できる所が多いのですが、ここは意外でした。
後日談ですがその年の秋、ヨーロッパ・スキー・ツアーの広告を見ていましたら、アルプ・デュエズに行くツアーがいくつもありました。私が無知だったのです。
ここで、参考資料を貰い、ホテルを予約して貰いました。ホテルはオフィス・ドゥ・トゥーリズムのすぐ横の、シャレ・ル・マリアンドルでした。そして2万5千分の−の詳しい地図のついた、この周辺のハイキング・ガイドを買いました。
ホテルの前に車を止めました。ホテル正面は谷の方を向いています。傾斜地なので前の建物に邪魔されず、部屋から山が見えそうです。シャレ、と言うだけあって、山荘風の木造建築です。 私達はベランダ付きの、山の見える部屋を取って貰いました。もう4時頃になっていました。荷物もおろさず、とにかくそのままロープ・ウェイまで偵察に行くことにして、車で街の上のはずれのロープ・ウェイ乗場へ行きました。タイム・テーブルを見ると、まだ最終便には間に合いそうです。でも上を見上げてがっかりしました。100mも行かないくらいの所から、山もロープもすっかり雲の中に入ってしまっているのです。明日の天気を期待して、今日は引き返す事にしました。それでも主人はしきりに上の方を眺めています。何を見ていたのかは後になってわかりました。
アルプ・デュエズは標高1860m、ここから標高3328mのピック・デュ・ラック・ブランの頂上までロープ・ウェイがかかっています。途中2つの駅があって、頂上へは2つ目の駅で乗り換えます。ひとつ目の駅まではなだらかな草地、スキーで言えば初心者コース、二番目の駅までは岩や雪渓の、崖の多い場所、更にその上が湖と急な山頂です。ひとつ目の駅から上は、スキーで言えば中、上級コースでしょう。冬には頂上から一部トンネルを通って、一気にアルブ・デュエズまで滑り降りる事が出来るそうです。
偵察から部屋へ帰り、早速ベランダヘ出てみました。向かいの谷はすっかり雲に埋もれて山は見えません。上空は青空が出ているのに、と、恨めしい思いでした。明日の天気に懸けるよりありません。帰ってからも主人はさっき買ったハイキング・ガイドをしきりに見ていましたが、やがて「明日は頂上まで行ったら、二番目の駅までロープ・ウェイで下りて、その下は歩くぞ。登山靴を履いて行こう。」と言い出しました。「この地図とさっきの偵察で、ここは歩けそうだと判明した。特に始発駅とひとつ目の駅の間は散歩コースだ。足慣らし、靴慣らしのため明日は歩く。」と言うのです。私はただロープ・ウェイで登ってエクランを挑め、ロープ・ウェイで下りて来るものと単純に考えていたので、このプランにはちょっとびっくりしましたが、主人の状況判断と対応の素早さに感心し、喜んで賛成しました。
日本を発ってからずっとスーツケースの中に入りっばなしで、私達の荷物を重くしていただけだった2足の登山靴がようやく日の目を見るのです。キルティングのコートも同時に引っ張り出されました。富士山8合目ぐらいの標高の所へ行くのです。夏でもちょっとお天気が悪かったら相当寒いはずです。用心に越したことはありません。あとはただひたすら明日のお天気が良いことを祈るばかりでした。
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